政治経済学

なぜベネズエラ問題は、いつも「民主主義 vs 独裁」という構図で語られるのか?

最近のニュースを見ていて、ある種の「見慣れた構図」が繰り返されているのではないか?
という疑問が浮かんだ。

反米・反資本主義=悪。自由主義=善。

私たちは9.11以降、あまりにも自然なものとして受け取ってきたのではないだろうか。

重要なことは、誰かが意図的に「騙している」と断じることではない。
こうした単純化された構図が提示されることで、

私たちの注意が別の論点へと静かに逸らされてしまう、という作用に目を向ける必要がある。

身近な人間関係に置き換えるとわかりやすい。

例えば、過去に仲違いした友人がいる。自分は被害者だと感じていて、相手を許せない。
衝突した友人について語る時、「あいつは〇〇だから」と理由を単純化してしまえば、話が早い。
しかし、その瞬間に衝突に至った背景や、自分自身の立ち位置は、語られないままになる。

国際政治でも同じことが起きているのではないか?

レイヤー構造で見るベネズエラ問題

表層レイヤー(メディアで見せられる世界)

ベネズエラ攻撃の正義として、同国の「独裁政権」と政治過程、政策の失敗がたびたび揶揄されている。ここだけを見れば「制裁も介入も正義」に見える。

しかし、アメリカ側の正義だけでなくベネズエラ国内でどう受け取られてきたか、という問題がある。

現マドゥロ政権の前チャベス政権が誕生した背景には、深刻な経済格差があった。


石油産業に関わる約0.5%の富裕層と、それ以外の大多数の貧困層の分断である。

チャベス以前は歴史的に新米政権であったが、莫大な貿易利益があったにもかかわらず、その恩恵にあやかれたのは石油を扱うごく一部の富裕層に限定され、富の再分配もなされていなかった。

チャベス政権以後、反米路線を掲げ、憲法改正を行い、大統領権限を強化。国民会議を両院制から一院制に変える。マドゥロ政権はこの流れを継承している。

これに反発した野党勢力との対立は激化していき、マドゥロ政権は野党議員が不正選挙により再選されたと判断。 選挙の正当性、野党指導者の拘束・軟禁、立候補資格剥奪と言った問題が表面化してくる。
この一連の流れは西側諸国を中心とし国際的にも、人権侵害だと強く批判されている。

この独裁政権による経済政策が現在までのところ失敗に終わり、結果として


「国民を苦しめる無能な政府」

としてのレッテルを貼られることになってしまった、ということだ。

一段下のレイヤー(意図的に語られない部分)

ただ、現在の経済崩壊は、本当に現マドゥロ政権の失策だけで説明できるのだろうか?

産業は石油への過度な依存という構造的な脆弱性を抱えていた。
産業の多角化が進まなかったことも事実であり、政権の経済運営に問題がなかった訳でもない。

しかし、アメリカがおこなった経済制裁がその後の岐路を決めることとなった。

2010年代に入って、当初政府関係者に対しての個人的な経済制裁が行われていた。

2017年、アメリカはベネズエラ政府や同国営輸出会社(PDVSA)への資本アクセスを制限。
金融アクセスが事実上遮断されたことにより、益々経済が行き詰まる土壌が作られてしまった。
極め付けは、2025年再びベネズエラ産の原油・天然ガスを輸入している国・地域に対して、アメリカへ輸出する全ての品目に対して、25%の関税を課し、ベネズエラ経済を国際市場から排除する行動に出た。

ベネズエラ経済は単に「失敗した」のではない。金融という「呼吸器」を徐々に外されていったのである。

③ 構造レイヤー(構図反転)

なぜベネズエラは、ここまで強い圧力を受け続けるのか。

問題はマドゥロ政権の性質だけではない。この国が、どの位置に置かれているかではないだろうか。

アメリカの対中南米政策には、長く一貫した前提がある。
かねてよりベネズエラは世界有数の産油国であり、1950年代には、アメリカ、ソ連に次ぐ世界第3位の産油国であった。その恩恵により南米でも最富裕国であったが、外資による開発で一部の富裕層に富が独占され、貧富の差が著しかった。

チャベス政権下では、長期に渡るこの状況を打開するべく石油産業の国有化によって外資の影響力を排除し、自力での運営を試みた。

しかし、その試みは国際市場や金融構造との摩擦を避けられず、困難な道を歩むことになった。

歴史レイヤー(決定的に隠される層)

アメリカは古くは「モンロー主義」によりヨーロッパからの干渉を排除し、西半球をアメリカの勢力圏に置こうとしてきた。今も南北米大陸はアメリカの安全保障空間であり、域外勢力の影響を許さない。

政治体制より「従属性」が優先されるこの前提のもとでは、自主独立的な政権、資源の国有化、反米的言説は、存在自体が問題化される。

いわゆるアメリカの「裏庭(backyard)」

という位置付けのもと、冷戦期においては、中南米でのクーデターを支援してきたという事実もある。中南米において、アメリカによる国際秩序を逸脱する「前例」になることを恐れられていたのだ。

つまりベネズエラは突然「問題国家」になった訳ではなく、ずっと「管理対象」だった。

ここに来て、ベネズエラの問題を「民主主義の問題」とする説明が不自然に軽くなる。

人権は守るべき価値である。
しかし同時に介入を正当化するための言語にもなる。

問題はベネズエラが正しいか、間違っているかではない。

なぜこの国は、これほど長く「問題であり続けなければならないのか」。
その構造を見ない限り、私たちは同じ説明を、別の国に対して何度でも繰り返すことになる。

ベネズエラ問題では「なぜ貧しくなったのか」ではなく「誰が悪いのか」だけが繰り返し問われる。

ベネズエラが理想的な国家だと言うつもりはない。
ただ、「民主主義 vs 独裁」という説明だけでこの国を理解した気になるのは、あまりに単純すぎるのではないか。

マドゥロ政権には問題がある。それは間違いない。
しかし、彼を「麻薬カルテルのボス」と呼んだ瞬間、私たちはなぜベネズエラがここまで追い込まれたのか、という問いから目をそらしてしまうのではないか。