【表層レイヤー】米価格の高騰
米が高い。
しかも、この値上がりは一時的な不作や天候不順では説明のつかない類のものであるように見える。
米価格高騰に関して、政府政策の動向を見守っている。なんとか解決してもらいたいものである。
2018年までの日本は「減反政策」と言って、過剰な生産を抑制していたらしいのだが、
それは既に解放されて現在に至っている。
本来、生産量が上がれば市場への供給量が増し、市場原理に基づけば価格は低下し、安定するはずだ。
そしてそれは、今までの状況であれば機能していたようだった。
【中層レイヤー】生産量、供給量という要因
米価高騰の原因はいくつか考えられる。前述した通り、まず思い浮かぶのは市場全体への供給量だ。
供給量が不足していることによって、相対的に価格が上がっていることが考えられる。
しかし、近年不作だったとは言え、
大幅に価格を押し上げるほど「水稲の収穫量」自体が減った訳ではないようなのだ。
(詳しくは農林水産省公表のHPを参照していただきたい)
ここで、単純な需供量のバランスで価格が変化したのではない、という可能性が出てくる。
だとすれば他に考えられるのは、
我々消費者のところに届くまでの流通の段階で価格が上がっている、
もしくは取引市場で相場価格が上がっていることが想像される。
【深層レイヤー】流通コスト、自由市場という要因
単純な中間マージンの高騰が理由なのであれば、直販で消費者へ安く売る業者が出てきてもおかしくない。
しかし、ネット市場やECサイトに並ぶ米も(送料を含めても)スーパー等の店舗価格とさほど変わらない。これはなぜだろうか?
生産に伴う原材料費に加え、輸送に伴う燃料費の高騰は影響しているだろう。
流通コストはコロナ禍以降も近年上昇の一途を辿っている。
流通コストだけが問題であれば、政府が備蓄米を安価に放出したことで供給量は増えたはずだが、
問題はそれ以降も相場価格が下がっていないことだ。
次なる要因としては、市場原理の可能性が示唆される。
生産者(供給)の立場に立てば、
一度市場価格が上がってしまったこの状況で、あえて安売りをするメリットは考えにくい。
しかも巷には「例年より不作であった」というニュースが流れている。
それは値上げに踏み切るため理由になりうるし、秘密にしておきたい部分なのかも知れない。
いわば不作が高騰の根本原因ではなく、
市場に高騰の「正当化材料」を与えるに過ぎなかった可能性も十分考えられる。
加えて、安売りにより利益が大幅に見込めるのならまだしも、
そもそも生産コストが嵩んでいるため、単独で価格を下げると、その生産者だけが割を食う、
という「構造上の問題」も大いに考えられる。
もちろん各々の生産者同士が示し合わせて価格調整することは現実的に不可能だろう。
それでも価格が下落しないのは、
明確な価格協定が存在しなくとも、
「一度上がった相場を自ら崩す合理性がない」
という判断が、結果として価格の下方硬直性を生んでいる可能性がある。
【歴史レイヤー】日本における「分度」というスタンス
さてこのような場合、政府としてはどのようなスタンスで市場に臨むべきなのだろうか?
経済全体で言えば、日本は長らく「自由市場経済」の立場をとってきたし、それを信奉する政治家、官僚、学者は多い。
ただ、このような場合にも黙って完全に「市場経済」に任せてしまって良いものだろうか?
自由市場経済の弱点は、業種にも寄るが、世界恐慌やリーマンショックに見られるように、
時にコントロールが効かないことがあるということだ。
逆に政府が、完全に市場介入したことで失敗した例も歴史にはある。
いわゆる「計画経済」の失敗は「計画したこと」そのものではない。計画に現実を従わせようとした傲慢さにある。
実は、農業という産業は、歴史的に見ても完全な自由市場に委ねられた例はほとんどない。
理由は単純で、天候・戦争・疫病といった人間の意思を超えた不確実性が、他産業と比べて圧倒的に大きいからだ。
古代国家においても、近代国家においても、まず国家が関与したのは常に「食糧」であった。
古代中国やエジプトにおいても、国家権力が最初に担った公共事業は軍事ではなく、治水・灌漑であった。日本の年貢制度、ヨーロッパの穀物法、戦時下の配給制度はいずれも、市場原理を否定したものではなく、市場が壊れる局面を想定した「保険」として機能してきた。
面白いことに日本においては、かの二宮尊徳(金次郎)は
「分度」
という言葉で、収入と支出、生産と消費の釣り合いを説いている。
重要なのは、分度とは静的な均衡ではなく、凶作や不作といった“最悪の事態”を織り込んだ上で定められる基準である点だ。
これは現代で言うところのリスクマネジメントに他ならない。
結局バランスを取る必要があって、
「非常時には政府は介入すべき」
との一般的な見方に落ち着きそうだ。
生産量の調整への働きかけを「減反政策ではないか」と揶揄する自由市場経済主義者が多いが、
農業は常に「市場に任せきれなかった産業」であるのだ。
壊れた市場を「自由だ」と言い張る方が非科学的とも言える。
不確実性があるから市場に任せる、のではない。不確実性があるからこそ、準備と設計が要る。
計画とは、未来を支配することではなく、最悪を避けるための人間的な知恵だ。